4月からの低温が嘘のように晴れ渡った五月晴れの30日(土)、大仙市南外地区で刈穂・出羽鶴・やまとしずくを総括する秋田清酒の酒米の田植えがありました。
こちらは 南外村及位の 秋田清酒の伊藤会長が暮らすご自宅。伝統のかやぶき屋根を今でも維持していますが、この目の前の空き地に苗を育てるビニールハウスを建て、すべて社員による自社管理をめざしています。
数カ所に分かれた田んぼに秋田酒こまちからはじまり、3日がかりの最終日となったこの田んぼは美郷錦を植えます。田植機の機上には伊藤洋平社長自らの姿が!
この田んぼは、出羽鶴酒造の社員だった方の所有でしたが、一人暮らしになられたため娘さんの嫁ぎ先に移ることになり、社長と出羽鶴の佐藤賢孔杜氏が所有も含めて後を引き継ぐこととなり、今年から実質社田として維持管理します。
出羽鶴と刈穂の通年雇用の蔵人が夏場は酒米作りをやることになった、歴史的なスタートの年です。
社長のTシャツが映えます(笑)。
4反歩の変形田となりますが、実は美郷錦を植える前に試験栽培?として〇田錦も植えました。
出羽鶴の蔵人さんは実家が農家なので手慣れたものです。
品種が交じらないよう、美郷錦との間隔をとります。
気を緩めると曲がるので、社長、真剣です。
コロナウイルスの影響で特に業務用の需要が落ち込み、酒造業界にとっても大変厳しい日々が続いています。
このまま需要が伸びないと秋からは生産量を減らさざるを得ないことにもなり、そうなると酒米の需要も減っていきます。
農家の高齢化が顕在化し、こうしたピンチが続くと米の生産自体が維持できないという危機的な状況も考えられます。
こうした時代にもきちんと対応できるように、酒蔵が酒米を自社管理することが時代の要請ともなってきました。
日本酒が飲まれる文化、日本酒蔵がになう地域の中での存在の意味、そして蔵が田んぼや地域の環境を支える時代になってきた意味も考えていきたいと思います。