22日午前5時過ぎ、ご来光がのぼり、富士山頂が青く朝焼けしはじめて今後の予定を考えます。
当初の予定では平日なのでそんなに混まないだろうから、お鉢回りをして剣が峰の日本最高点を踏んでから下山すれば、登山口午前10時発のバスに乗れるだろうと踏んでいましたが、もう都会並みの人混みにまみれて時間が押すのはまずいし、人混みにももまれたくないと、即、下山を決断!
下山は御殿場ルートを選択します。
御殿場ルートは4大登頂ルートの中でも、距離・標高差最大のロングコースですが、7合目下から分かれて宝永火口を巡って富士宮コースにいたる、通称プリンスルートを利用できます。
下り始めてサッと上を見上げると、ご来光の時は立ち止まっていた人たちがそれぞれ動き始めて、お鉢回りは喧噪を深めているようです。
(御殿場口はお鉢の中でも少しくぼんだところにあり、人は少ないはずなのですが・・)
下りはじめると、すぐに階段状の岩場が続いています。人が少ない!ありがたい!
トコトコと下りていきます。
30分ほど下りて旧9合目小屋跡にくると、真下に宝永火口が迫ってきます。
8合目、赤岩八号館に着くとご来光のあった山中湖あたりがまた違う輝きを見せてくれます。
いやぁ、見とれてしまいます。ご来光よりいいかも(笑)
金剛杖に焼き印を入れてもらう(5つ入って500円)間に、小屋のスタッフと話していたら、無茶混みの山頂よりも絶好のご来光スポットでもあるこの小屋に泊まって、ゆっくりご来光を見てから空身で山頂に向かって下山してくるのが一番賢いよ、といっていました。
ホント、そうかも。納得です。
山頂を見上げるとあいかわらずの急斜面ですが、歩きやすさは御殿場ルートの方に軍配。
7合5勺、砂走館まで下りると地表がまた一段と近づきます。(あたりまえか)
そして、7合目からは御殿場ルート名物、大砂走りの下山コースをダッカダッカと駆け下りると、宝永山馬の背ルートにいたる分岐がやってきました。
宝永山は今から311年前の江戸時代宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した富士山最大の側火山です。
江戸にもたくさんの火山灰が降り、天候異変ももたらしています。この噴火の前には、南海トラフ大地震である宝永地震が起こっており、それによって誘発された噴火といわれています。
宝永山山頂から見上げた富士山山頂。
とにかくデカい!
運良く戻り返してきた2人組に出会い、記念写真を撮ってもらうことができました。
ザックに挿した金剛杖が異様ですね(笑)
写真を撮ってもらって1分後には猛烈な勢いでガスが迫ってきて、山容を隠してしまいます。晴れているのにめまぐるしい変化!
それだけ下界の気温が急上昇して空気が暖められてきたのでしょう。
宝永山の縁からガシガシと火口最深部に下りていきます。
300年前の噴火口最深部から見上げます。大きい、とにかく大きい!
いやぁ、今回の山行で最も記憶に残ったのが、この宝永火口です。
スケールの大きさはさすがに日本一の富士山です。
ここを下りなかったら、山頂での混雑と景色の変わらない登りのきびしさしか残らなかったかも(笑)
プリンスルート、大正解でした!!
下りはあっという間で8合目でお茶飲んだりしてゆっくりしたのに3時間で富士宮口に戻ってきてしまい、バス時間まで2時間も待つことになりました。
帰りは、バスで三島駅、三島から新幹線で品川、京急で羽田空港、と乗り継ぎましたが、東京で40度越えの日だったので、ひたすら空港ラウンジで時間をつぶしてから秋田に帰ってきました。
富士山は登る山じゃなく、見る山だ
と、アルピニストはいいますが、その通りといえばその通り、富士山に登ってくる人の9割以上は山に登るのではなく、富士山だからこそきた人たちで山登りを楽しんでいるわけではありませんでした。
あの山頂の雑踏のイジョーさ、でも、一度は富士山に登ってみたいという気持ちもわからなくもない・・・なかなか複雑な心境です。
それでも、宝永火口を巡ることができたのはすばらしい経験でした。
また一人で来るか?ときかれればNOですが、誰かに誘ってもらえたらOKかも(^^)
いい経験をさせてもらいました。
(終わり)